2024年4月の月報です。記事末尾にこの記事のタイトルになっていることを書きました。
普段お見せしないような文章をこの機会にお見せできればと思います。
4月に書いた記事
4月に読んだ気になる記事から5つをピックアップ
表現と文脈について少し考えてみる
以下のうちあわせCastから考えたことを、もう少し考えてみたい。表現と文脈とリズムと。
第百五十一回:Tak.さんと文脈エディタとしてのアウトライナー \- うちあわせCast
※特に結論はありません。
表現されたものには文脈がある。
たとえば「おなかいっぱい」と言われたとする。
まず誰が言ったのかというのが気にかかる。小さい子供か、それとも大人が言ったのか。
子供であれば、たくさん食べて、おなかがいっぱいになったのだろう。
しかし、ブロッコリーとにんじんと、きらいなものばかりのこっていたらどうだろう。
「おなかいっぱいなのではなく、嫌いなものを食べたくないだけでは?」と、考えることもできる。
もし、その子が風邪をひいていれば、おなかがいっぱいというよりは食欲がないのかもしれない。
性格だって関わってくるだろう。
その子供についてどれだけ知っているかで、「おなかいっぱい」の受け取り方は変わる。
そう、受け取り方なのである。
どんな言葉も、どのように受け止めるかは、受け取り手に委ねられる。
そして、どう受け止めるかには文脈がかかわってくることになる。
短歌や俳句には5・7・5・7・7のリズムがある。
ここには過去から紡がれ続けてきたリズムがベースにあるはずだ。
そのリズムも文脈といえるのではないだろうか。
昔から連綿と紡がれてきたリズムと個人個人が持っているリズム、現代の社会が持っているリズム、今自分が所属している共同体のリズム。
それぞれのリズムにどうノっていくのか。
複雑なステップを踏むか、それともシンプルなステップで押し通すのか。疲れていれば、相手の足を踏んでも気づかないかもしれない。
文脈とは文の脈絡である。
脈絡とは血管である。
血管を流れる血はどこからきているのか。
脈打つ心臓である。
その心の臓はどこにあるのだろうか。