現在執筆中の本の第一稿を少しずつ公開していく企画、ここまでの更新分ははこちらです。
さて、はじめに乗続きとして「1-1.分かるとは何か 」をアップしましたが、自分の中で「ちょっと違うなぁ」という気持ちがぬぐい切れなかったので書き直してみました。
それが今回の記事になります。こうして執筆の間に書き直すのはよくありますが、今回の本は多いですね。
以前とどう変わっているかを見てみるとおもしろいかもしれません。
それではどうぞー
さて、まずは分かるについて考えていきましょう。
分かるとは何でしょうか?
簡単なようで一度考えてみるとなかなか難しいですね。
なので、まず分かるにはどんな種類があるかを分けてみようと思います。
そもそも分かるとは分けるから来ているわけですから、分かるを分かるために分けるのは理にかなっていると言えそうです(ややこしい)。
というわけで、3種類に分けてみました。
ひとつめが「把握」です。
たとえば、りんごが遠くの木になっていたとしましょう。最初は赤い点にしか見えなかったものが、近づくにつれてリンゴだと分かる瞬間が来ます。
これは把握です。
把握は自分が持っている情報や知識とのすり合わせともいえます。予想の範囲内といえるようなものが把握です。
二つ目が発見です。
あなたがもしリンゴを全く知らなかったとしたら、リンゴに触れる距離まで来たとしても何なのか分からないでしょう。
「なんだろう?」
新しい何かを発見した瞬間です。
未知と知る。未知が分かる。無知の知ともいえるでしょう。
把握とは逆に自分の情報や知識の範囲外が「発見」です。
では、把握も発見もどのようにもたらされているでしょうか?
そのプロセスが「理解」です。これも分かるであり、分かるための手段でもあります。
たとえばリンゴを見た時様々な情報、赤い、丸い、ツルっとしている、果物、木になるといった断片的な情報からリンゴであると理解した結果、把握する、もしくは自分の知らない何かであると理解し、発見することができます
リンゴ → 理解 → 把握 or 発見
わかるはこの3種類に分けることができます。
分かるの中にも結果としての分かる(把握・発見)と手段としての分かる(理解)があることが分かります。
ちなみに把握、理解、発見、はあく、りかい、はっけんと並べて、「分かるはハリケーン」と語呂合わせができます。
以下有料の方向けにどう変わったのかを少し書きました。