4月以降は環境の変化になかなか対応できていなかったのですが、なんとかリズムが戻ってきました。
本を読むのも一日一ページあるかないか、といった日も多かったです。
以下の記事でも書きましたが、忙しいときは自分のサイクルをある程度信じることで乗り越えています。(関連記事:忙しくて独学できないときの心構え)
本が読めなくてもいつかは読む方向に戻ってくる、そんな経験を積んでいるからでしょう。
今回もそんな経験のひとつと言えます。
そして、できない状態からできる状態に戻ってくるとき、前と全く同じ状態に戻ることは少なく、だいたい変化があります。
長期休暇後に「なんでこの仕事をしているんだろう?」といったことが、ふと頭によぎるのと同じように、期間が空くことで自分がやっていることを少し客観的にみられるようになるのでしょう。
今回少し変わったのが「スマホとの距離感」です。
以前はスマホを家でもいつでも持ち歩き、本を読んだり、調べ物をしたり、読書メモをしたりといった具合に使っていました。
そういった点においてスマホは便利です。
ポケットに入れて、どこにでも持ち歩けます。
しかし、同時になんとはなしに時間を溶かしていくことができるツールでもあります。
スマホでニュースやSNSを見ているうちに夜が更けていってしまった経験は誰しもあるはずです。
手持ち無沙汰だと、なにかしらいじりたくなるものですし、手持ち無沙汰を解消するツールとしてスマホはうってつけです。
特に忙しくなると、自分の意思を使って我慢するというのが困難になります。
スマホで本を読んでいてもあっという間に脱線し、いつの間にかNBAの結果をなんとはなしに眺めてしまいます。
NBAの結果を見ていてもいいのですが、度が過ぎるのは困ります。自分にとって納得感がありません。
これもスマホが何でもできるからといって、スマホに依存しすぎたのが原因でしょう。
というわけで家ではリビングにいることが多いので、リビングとは別の部屋にスマホを置いておくようにしました。
スマホを使ってなにかやりたいという時もありますが、本当に必要なら少し遠くてもとりに行きます。
そうすることで手持ち無沙汰な時間が増えました。
手持ち無沙汰というとあまりポジティブな感じはしませんが、懐かしい感じもしています。
昔はよく手持ち無沙汰な時間があったのが、最近はずいぶんと減っていたなと。
こうしてできた時間に、本を読んだりできます。スマホがなくても、紙の本やKindle専用端末を使えば問題ありません。
ぼーっとする時間も増えました。こうしたときにデフォルトモードネットワークが働くと聞いたことがありますし、手持無沙汰も悪くありません。
他にはiPadをよく使うようになりました。
iPadの何がいいかといえば、画面が大きいことです。見やすいです。
そして、それは自分だけでなく、他の人にも見やすいということです。
リビングで使えば当然家族の目があります。
スマホでは読めたような漫画が、iPadでは読めなくなります。家族の前で課長島耕作を読むのはなかなか厳しいものがあります。
なので、読むのはあまり恥ずかしくない本になります。
これはいうなれば自分の中のええかっこしいを利用することです。
ええかっこしいというのもどちらかというとネガティブな性質として使われますが、それを使って自分にとって良い方向に持っていけるのであれば、それはよいことだと思います。
手持ち無沙汰、ええかっこしい、ちょっとネガティブに感じるものともうまく付き合えているなという感覚です。
だいぶ本を読むペースも上がってきましたし、今の時間の使い方には納得感があります。
しかし、自分のリズムを信じるということは逆に悪いリズムがやってくるであろうということも受け入れることでもあります。
だからこそ今の調子のいいリズムを満喫したいところです。
以下有料の方向け追記です。
iPadを使うようになって、iPadとApple Pencilを使ってノートをとることを復活させました。
そして、iPadのいいところは手書きとデジタルをスムーズに行き来できるところです。