好奇心は、自分の中の無知を知ることで刺激されると言われます。
学びと好奇心は重要な関係があります。好奇心は知りたいという気持ちの表れです。
しかし、そのためには自分にはわからないところがある、自分の無知を受け入れるということも必要になります。
これはなかなか難しいことでもあります。
自分の無知を受けいれる、そのヒントが日記に白紙のページにあるのではないかと最近思いました。
日記を書いていると、途中で書けなかった白紙のページができることがあります。
これはめずらしいことではありません。
カレンダーを見ても、今月のカレンダーを見ても自分が何をしていたのか分からない日はたくさんあります。
日記の白紙のページは、自分の中の空白を形として見せてくれているともいえます。
そして、その空白は自分に対する無知を実感させてくれるものでもあります。
「自分のことは自分が一番よくわかっているはず、でもその自分のことすら分からないものがあるのだ。なら自分の外側には知らないもの、分からないものがもっとあふれているのだろう」
こう考えるきっかけになるのではないでしょうか。
自分が持っている無知は当たり前であると実感できること。
これは日記の良さといえるでしょう。
日記の白紙は自分の不完全さを示すものです。そして、その不完全さこそが人間なのだと思います。
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以下有料の方向けに不完全さとキャラクターについて少し書きました。