「第6の指」が他人の「歴史」に目を向けさせる
自分とはと違うからかな...
『亜人ちゃんは語りたい』 9巻
以前の記事でも書きましたが、「他人のことを考える」のは簡単なようで難しいことです。
この記事では、他者の「歴史」に目を向けるきっかけを作れればと思います。
さて、いきなりですがパンダの話です。
パンダは笹を上手につかんで食べているように見えます。人間と同じように、親指が笹をつかむのにとても役立っていそうです。
しかし、パンダが親指のように使っているのは実は指ではありません。手首の骨です。手首の骨が出っ張って、親指のようになっているのです。
笹をつかむのに最適化するのであれば人間や猿のような親指を作ればよいのです。
もし、あなたが神様だとして、笹をつかんで食べるクマを作ろうとしたとき、笹を持ちやすいように人間と同じような手の構造で作るはずです。手首の骨をちょっと出っ張らせて第6の指として使おうとは思いません。
しかし、パンダにはクマとしての歴史があります。
クマの親指は人間の親指と同じようにはなりません。だからこそ手首の骨が「第6の指」となりました。
最適ならば人間の手の構造となるはず、しかしクマの歴史があるからこそ手首の骨を使う。第6の指にはそんな最適化とのずれが含まれています。進化論的にはもっといろいろあると思いますが、細かいことは置いておきましょう。
そう考えた時、状況とはずれていること、最適ではない部分、それが「歴史」ともいえるのです。
パンダの第6の指はクマの「歴史」を表現しています。これが環境に合わせてぽっと作られたのであれば第6の指はないでしょう。
この考え方を私たちの周りにいる他人に対しても応用してみます。
他の人に対して「なんで分かってくれないんだろう?」、「少しずれているなぁ」と不満に思ったり、憤慨することはあると思います。
しかしそのとき私たちは心のどこかで相手を歴史もない、環境に合わせてぽっと出てきたモブキャラとして扱っているのです。
なぜなら自分との「ずれ」は、相手の「歴史」だからです。自分に合わせてぽっと出てきたキャラクターならば都合のいい物語のように、自分に合わせて動いてくれるかもしれません。
しかし、相手にも「歴史」があります。積み上げてきたものがあります。
だからこそ、自分とは「ずれている」のです。
もし、あなたが誰かに対してずれているな、なんでわかってくれないのかなと思った時、そのずれはその人の「第6の指」なのです。
それが第6の指だとわかることで不満や憤慨が解消するとは限りませんが、少し「他人のことを考える」ことができるはずです。
そして、逆にもし自分自身が周りとずれていると感じたとしても、それはあなたが歴史を積み上げてきた証なのです。
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