「大人が笑うのはな 大人は楽しいぜって 子供に羨ましがられるため」「人生は希望に満ちてるって 教えるためさ」「…おれの大人論 ひひひ」
水上悟志『惑星のさみだれ』2巻 P79
好きな漫画の一つ『惑星のさみだれ』の中の一コマです。このセリフはずっと印象に残っています。
「大人は楽しいぜ」と子供に見せること、それがこの漫画の中の大人論です。
この大人論が『世界は贈与でできている』を読んでいるとき、ふと頭をよぎりました。
『世界は贈与でできている』の中で、「親の心子知らず」は警句であると指摘されています。
「親の心子知らず」という言葉がありますが、これは正しい警句です。
正しいというのは、事実としてそうだというのではありません。
そうではなく、子は親の苦労を知ってはならないという意味で正しいということです。
—『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学 (NewsPicksパブリッシング)』近内悠太著 https://a.co/c3XGOaS
子どもは何も持たずに生まれてきます。子育てのためのお金や食料を持って生まれて来るわけではありません。
経済的には親にとって負担が増えるだけとも言えてしまうのです。
子どもは親から様々なものを受け取る存在として生まれてきました(もちろん、あなたもわたしも)。
親から様々なものを受け取った事実が、もし子供に伝わった時、子供には返さなければという心理が生まれます。それは子供に対する「呪い」へと変わるかもしれません。
だからこそ「親の心子知らず」でいてもらわなければいけないのです。
お返しなどいらない本当のプレゼントを贈るときには受け取った本人が気づかなくても構わないという覚悟が必要なのです。
ではどうやれば子供に気づかれずに「プレゼント」できるでしょうか。
その方法の一つが冒頭の大人論です。
大人自身が人生を、日常を楽しんでいることを見せるのです。
あなたが生まれてきた世界は大変なこともあるけれど、楽しい世界でもあると見せること、それが大事だと思うのです。
子供はその時プレゼントを受け取っていると気づかないのではないでしょうか?
この方法はある意味「背中を見せる」ことなのではないかと思います。面と向かって何かを教える、語るよりも、遠回りで届くかどうかもわからない方法です。
しかし、だからこそプレゼントであるともと気づかれないでしょう。
そして背中を見せることは、後ろに道を作ります。背中を見せるということは私たちはどこかに進んでいるからです。
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大人が楽しめる世界は、きっと子供が大人になった時にも楽しい世界でしょう。
もちろん世界は楽しいことばかりではありません。子供は育つにつれて、大人が楽しそうにやっていることの中にも苦労があることを知るでしょう。
そのときもしかしたら自分はプレゼントされていることに気づくかもしれません。プレゼントを受け取ったとき、私たちは何かお返しをしなければいけないと考えます。
それを親に返すのもいいでしょう。しかし大人は親だけではありません。自分がかかわった大人全員にお返しはできません。
その返せなかったものを社会に返す、あるいは次の子供に返す、そんなサイクルが回ればいいのにと思います。
そのためにも、まずは大人が世界を本当に楽しむことが必要になるでしょう。むしろ精いっぱい楽しむことだけを考えればいいのかもしれません。
大人は楽しむ、子供は受け取る。一石二鳥ですね。
「一石二鳥は贈与を隠す」のです。
子どもと一緒に世界を楽しみたい、そんなことを思いました。