足を進めるのは意志かもしれないが、顔を前に向けるのは希望だと思う話
こんにちは、ゆうびんやです。
今日二つの記事を読んで刺激を受けました。少し引用します。
ブログやライフハックなどの話題が一段落し、それらを総括した上でそろそろ二週目を始めようという段になって、僕たちがもう一度思い出すべきは、「楽しさ」にあるのではないかと思う。
もしかしたら僕たちが忘れていたかもしれないこと – R-style
あぁ、僕はずいぶん遠回りをしてしまった。ずっと「ライフハックはもう死んだ」「みんなブログを読まなくなった」なんて言い訳をして、とても単純な答えを見て見ぬふりをしていたのは自分の方だったんだなと。
12年前、何かに突き動かされるように何時間も時間を掛けて、誰が読むかも分からないのに、僕はただワクワクしながら8000文字のブログ記事を世の中にぶつけていました。
あの頃の僕にとって、ブログを書くことは純粋に楽しい行為だったと思い出しました。想定読者?SEO?はてブスパイラル?そんなことはどうでも良いから、僕の作った最強のライフハックを見てくれよ!
そう、単純なことなんです。僕はワクワクしながらアホみたいにマニアックなブログを全力の熱量で書き上げる、それを読みたい人がそれを読んでアドレナリンを吹き上げる。
沢山読まれる必要なんて1ミリもないんです、誰かが「そうそう、これこれ」と言ってくれりゃ僕はそれで満足なんです。
この記事を読んで、ライフハックといえばいいのかわかりませんが、その第二ステージが始まるのかもしれない、そんなワクワク感がありました。
一周らせんを回って、同じようで少し違う、そんなステージが始まるのではないかという予感です。
「歴史は繰り返さず、韻を踏む(History doesn’t repeat itself, but it does rhyme.)」
という聞きかじった言葉を思い出します。
本当に第二ステージが始まるかはわかりません。しかしサイクルがある、その予感があれば歩みを進められる。そんな気がしています。
たとえば『知的生活の設計』では、長いスパンで繰り返されるムーブメントについて「周回遅れでビッグウェーブに乗ること」の章にて書いてあります。
また個人的な体験では自分が3週間でさぼりたい時期が繰り返されるということも、何度も経験しました。
どれだけ前日楽しいと思っていても、「ものすごいだらけたい」と思う日が必ずやってきます。
しかし、これはサイクルであるとわかっているので、歩みを進めることができます。
「明けない夜はなかった」
そう実感していることが、谷にいるときでも歩みを進める手助けになりました。その実感が確かなものになったのは日記に書いてあったからです。
(ただ本当に疲れていたら休んだ方がいいです。間違いない)
サイクルがある、その先に信じられるものがあるとき、私たちは足を進めることができます。
ライフハックが最初にブームになったとき、わたしの私生活にはブログのブの字もありませんでした。
でもいまはあります。
そして、すこしでも「私たちの日々を楽しくしていく」ことを考えて日記同好会を始め、今は独学同好会へ姿を変えようとしていますが、その目的は変わりません。
最初に引用した、二つの記事からも「楽しさ」を感じました。
もちろん楽しさだけではだめだとは思うけど、それでも楽しさを大事にしたいところです。
『大橋さん、日記の楽しみ方を教えてください』は日記の楽しさについて書いた本です。
日記には楽しさだけでなく、効能もあります。しかし、効能を目的としていたら、結局は効能にたどり着けないのではないかという予感があります。
だからこそ、日記の楽しさをまず感じてもらう、そして日記の効能はそのあとについてくる。その順番でいいと思うのです。
たとえば本を執筆するときに、文章を書くことを楽しみながらも、その本のテーマに沿った方向に歩むような。そんな感覚で日記を書くのがいいと思うのです。
また、私の好きな言葉にこんな言葉があります。
人の足を止めるのは絶望ではなく諦観…人の足を進めるのは希望ではなく意志
『ARMS』
足を進めるのは意志かもしれません。ただ顔を前に向けるのは希望だと思うのです。
希望や楽しさに人は目を向けます。そこに向かうかどうかは後はその人の意志です。
でもまずは希望や楽しさを、ただし仮初じゃない地に足がついた光を、と思っています。
そのためにも、これから始める独学同好会では透明性が大事だと考えていますが、それはまた次の機会に書きたいと思います。
それでは、また。
ゆうびんや