私くらいの歳になると
若い人の立ち止まりは
種を埋めているようなものだと思えるのよ
『ちはやふる』25巻
先週は以下のような記事を書きました。
好奇心は学びのきっかけとなる大切な要素です。しかし、好奇心のままに手を広げ、拡張していくと、自分が何をやっているかわからなくなることがあります。
特に現代は人のアテンションをいかに奪うかに心血が注がれています。
自分自身の好奇心なのか、それとも刺激にただ注意を奪われているのかわからなくなってきます。
スマホの通知や頻繁に現れる広告などは良い例ですが、かといってスマホを窓から投げ捨てればすべて解決というわけにもいきません。
私たちは刺激に取り囲まれています。
すべてが真っ白な部屋でただただ過ごしでもしなければ刺激を全く受けないで生きていくことはできません。
では、どうすればいいのか?
その一つの方法が一度立ち止まること、立ち止まる隙間を作ることが大切なのではないかと思います。
「ちょっと立ち止まるスキル」です。
たとえば、日記は分かりやすいですね。
仕事や家事、一日が刺激により振り回された日、そのまま寝てしまうのではなく、少し立ち止まって日記を書いてみる。
今日自分の中で生まれた感情が刺激に対する単なる反応か、あるいはそこになにか自分なりのテーマが含まれているか、立ち止まることによって、そんな判断を作るタイミングを作ることができます。
それは刺激に対する自分なりの障壁を作ることでもあり、そして自分なりの好奇心を守ることにもなるでしょう。
以前倉下さんと共同で書かせていただいた「読書と日記の話」にも通じることでもありますし、『積読こそが完全な読書術である』に通じることでもあります。
一日の中で立ち止まるタイミングを作ってみてはいかがでしょうか。今自分が感じていることを一度棚上げし、選別するのです。
私にとっての今日は何だったのか?
毎日そんな問いをする必要はないでしょう。しかし、そんな問いに思いをはせるタイミングを持てるようにしておく、それは大切なことだと思います。
私の立場からは日記をおすすめしたいと思います。
それは自分自身の好奇心という学ぶための大切なエンジンを手入れする方法でもあると思うのです。
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「読書と日記の話」note連載(完結済み)
以下は有料の方向け追記です。