誠ってなんでしょう?
うそ、いつわりのないこと。
本来の自分。誠意。
新選組
こんなイメージではないでしょうか。「誠実に生きる」といった言葉を聞きますが、この状態にはどうやったら到達できるのでしょうか?
具体的な手法は見当もつきません。
しかし、最近読んだ『役に立つ古典』の中におもしろい話がありました。(本自体も短くておもしろいのでぜひ読んでみてください)
まず「誠」についてです。『役に立つ古典』では
たとえば、毛虫は芋虫になり、それが蝶になる。これが「成る」です。あらゆるものは成るべき要素を持っていて、それがそのまま成ることを助けるのが「誠」なのです。
—『役に立つ古典 NHK出版 学びのきほん』安田登著 https://a.co/1F29mZu
だと考えます。
毛虫が蝶になる。なるべきものがなるようにする。それが「誠」としています。
毛虫ならば蝶になるのが「誠」でしょう。
しかし、人間は決まった道筋があるわけではありません。
昨今であれば多様性が大事と言われる中で、どうすれば「誠」に到達できるのでしょうか。
その方法として以下の方法が提示されます
具体的なやり方として、『中庸』は次の五つを挙げています。「博学」(知の空白を一つひとつ埋めていく)、「審問」(詳細な問いを立てる)、「慎思」(じっくり思考する)、「明弁」(答えを分けていく)、「篤行」(病を得た馬を動かすように丁寧に行う)。この五つをしっかりとやっていくことによって、人は誠に到達できる。それが『中庸』の考え方です。 とても地道な作業ですね。まさに刷毛で塵を一つずつ取り除く尽心です。しかし、慣れるとこれがなんとも楽しいのです。
—『役に立つ古典 NHK出版 学びのきほん』安田登著https://a.co/3Ee0MK4
みなさまはこの記述を読んで、どう思われたでしょうか?
わたしはエバーグリーンノートにとても似ているなと思いました。
エバーグリーンノートについては独学ラジオ第三回でもお話を聴きました。
第3回前半「庭に花を咲かせるためのひと手間」ごりゅごさんとEvergreen Notesについて
少しずつ自分の中で知識やアイディアを育てていく手法であるエバーグリーンノートには以下の原則があります。
Evergreen notes should be atomic
Evergreen notes should be concept-oriented
まずエバーグリーンノートは原子的であることが必要です。大きな塊にするのではなく、小さく分けておくのがエバーグリーンノートです。
これは引用の中の「明弁」(答えを分けていく)、そして「博学」(知の空白を一つひとつ埋めていく)と似ています。
さらにエバーグリーンノートはコンセプト志向であることという原則もあります。
これは「審問」(詳細な問いを立てる)こと、その問いに答えることとも言えるでしょう。
問い=コンセプトです。
そしてじっくり思考し(慎思)、丁寧に行わなければ(篤行)「明弁」「博学」「審問」はできません。
こうした行為をする中で浮かび上がってくるものが「誠」なのでしょう。
最近Roam Researchでエバーグリーンノート的なやり方を試しているのですが、少しずつ項目が育ってきているのを感じます。
そこで浮かび上がってきたものは、私の伝えたいものです。
エバーグリーンノートもきっと自分を知る道筋なのです。だからこそ「誠」への到達手段にもなり得るのではなにでしょうか。
わたしなりの言葉で言えば「自分を編む」こと、その方法のひとつがきっとエバーグリーンノートなのです。
現代のエバーグリーンノートと、紀元前の春秋戦国時代の『中庸』の中に共通点があると自分なりに考えられたことがとてもおもしろかったですね。
ここでドクガククエスチョンです。
Q.自分を知るためになにかできそうなことはありますか?