ものすごい少しずつ勉強している
碁石をばらまく
ものすごい少しずつ勉強しています。
通勤中の3分程度を使って、『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』を読み進めています。
そもそも世界史がほとんど記憶の彼方ということも大きいですが、分からないまま読み進めていくと、言語としては読めていても、意味は分からないということが起きてきます。
ですので、その日読んだ内容で覚えておきたいことはAnkiにも入れています。
その結果、2025年9月12日から読み始めて、2か月半経っても507ページ中135ページまでしか進んでいません。
でもこれぐらいでいいのだと思います。むしろ物足りないぐらいでちょうどいいのかなと。
焦らないことです。むしろ趣味の勉強なのですから焦る必要はありません。焦っているときは、なぜ焦っているのかを一度立ち止まってみると良いでしょう。
完全に没頭して勉強できればいいのかもしれませんが、1日だけ熱中して勉強するよりも、継続できたほうが最終的には身につきます。
一夜漬けしたことはあっという間に忘れてしまいます。
しかし、覚えてさえいれば、後々の布石にもすることができます。
布石を打つとは、囲碁において序盤に石を配置して、後の戦いの基盤を作ることです。
しかし、学習は囲碁のような勝負ではありませんし、後々どのようなときに優位になるのかも分かりません。
むしろ、碁石を盤面にばら撒いているのかもしれません。布石になるのかは分かりません。
しかし、いつかばらまいた碁石が布石になることがあります。
最初は意味が分からなかったことが、後になって「ああ、あれはこういうことだったのか」と理解できる瞬間があります。
スティーブ・ジョブスが「Connecting the dots」という言葉で語ったように、わたしたちは未来を予測することはできません。
理解できるのは、過去の出来事や選択がどのように今の自分につながっているのかということだけです。
後から振り返ると、まるで点と点が最初からそうであったかのようにつながって見えます。しかし、それは後からしか分からないのです。
世界史を少しずつ学んでいくことも、そんな点と点を増やしていくことかもしれません。
そのために、今日も少しずつ碁石をばらまきます。それはいつか布石になるかもしれません。点と点がつながって、局面ががらりと変わって見えるかもしれません。
しかし、布石となることを期待しすぎると、それは焦りにつながります。だから、あまり期待しすぎず、継続することが大事なのかなと、思うのです。
そのときに少しでも暗記や記録をしておくと、点と点がつながりやすくなるでしょう。


