『自分の「声」で書く技術』を読んだ。
この本にはいくつもの「書くこと」に関しての有効なアドバイスがあるが、その中でも今自分が気になったのは「フリーライティング」だ。
フリーライティングという言葉自体は聞いたことがある方もいらっしゃるのではないだろうか。
かんたんに言えば、フリーライティングは自分の頭の中に思い浮かんだ言葉をひたすらに書き連ねることである。字を間違ったり、表現が変でも修正せず、ひたすらに書く。
詳しくは本書を読んでもらうのが一番良いと思う。
ひたすらにキーボードを打つ。タイプミスはまぁあるが、それはひとまず無視する。あとで読み返せばいいのだ。
そもそもデジタルツールでやっているのだから、あとから読み返して修正したり、あるいは消したりも自由自在だ。
何が良いというと、やはり気持ち良いことだ。心地よさは大事である。
その気持ちよさの源を考えてみると、リズム感に行きついた。
リズムがいいのだ。
では、リズムがいいことがどういいのかと言うと、それは多分お祭りに近いのだと思う。
お祭りには音楽はつきものだ。
日本でもどこでも。
たとえばインドネシアにはケチャという儀式があると見たことがある。この儀式でトランス状態になると言われている。
どこの儀式であれ、お祭りであれ、そういうところはあるはずだ。非日常。
改めてケチャについて調べてみると、これは儀式ではなく、舞踏劇なのだそうだが、非日常であることは間違いない。
つまり、自分の中のなにか日常は抑えられている部分を、リズムに乗ることで解き放つことができるのだ。
開放である。解放である。
それはたいてい気持ちよいものだ。
このフリーライティングはそういう気持ちよさが大事なのではないかと思う。大切と言ってもいい。
もしかしたら気持ちよくないフリーライティングは効果がないのではないかと思う。どこかに楽しさや気持ちよさが必要だろう。
日常生活を送っていくためには解放せずに少し抑え込んでおくことが常であるが、そうした抑圧は逆に自分はここまででいいやといった知らず知らずの諦めになるかもしれない。
「逆生産性」ともいえる。
学校という制度があることで、逆に学校以外で学ぶことが抑えられてしまう事例を聞いたことがある。
そうした逆生産性というものに対して、こうした解放感、お祭りの手段を持っておくのは結構大事なんじゃないだろうか。
わたしは抑圧と解放であれば、自身の中で抑圧が勝っていることが多いので、日常にフリーライティング というお祭りを組み込んでおくのは悪くないのではないかと思う。
フリーライティング はリズムでお祭りなのだ。
今回の記事は2回のフリーライティングをもとに作成しました。フリーライティングだと、敬体で書けないですね。
以下は有料の方向けに、どんなフリーライティングの内容だったのかをお見せしたいと思います。