好きなのに覚えられない
「思い出は全部記憶しているけどね 、記憶は全部は思い出せないんだ 」
『すべてがFになる』
たまに家族で美術展に行くことがあります。
好きな絵が一回にひとつぐらいは見つかるのですが、時間がたつとタイトルは覚えてないし、絵のイメージも朧げです。
一応日記とかには書いているのですが、覚えられていません。
まぁ忘れるということは自分にとっては重要なものではないという意見もありますが、それはある意味生存者バイアスというか、「忘れているから分からないだけでは?」というところもあります。
じゃあ、覚えるためには暗記すればいいじゃんとなるのですが、私にとって「好きな絵を暗記する」ことには抵抗感がありました。
それは自分の中に「好きなら覚えて当然」だから「自然に覚えられないなら好きではない」ことになるという思考が、いつの間にか居座っていたからかもしれません。
覚えられないことを認めると、好きでないことになるのです。
たとえば、さかなクンさんは魚の名前を多分暗記しようとはしていないと思うのですよね。
勝手な想像ですが、好きだからこそいろいろ図鑑を読んで、興味を持って調べて、実際に魚を見てという時間を重ねてきたんだと思うんですよね。
でもそこにはそもそも好きというだけではなく、好きだから時間をたくさん使うという要素が隠れています。
ある程度時間使ってるから覚える面も当然あるのです。
そもそも覚えやすいことって嫌なことの方が圧倒的に覚えやすいと思うんですよね。
だって嫌なことの方が注目を引きやすいというのはもうずっと言われていることです。
そして、1日の中で仕事という時間を圧倒的に使う部分以外で好きなものごとをやるとしたら、時間ってあまり使えないんですよ。
なんか当たり前のことを書いている気がしますが、その当たり前なことの中に好き嫌いの要素が入り込むと当たり前なことですら見失いやすい気がします。
好きなら記念日は覚えていて当たり前ですか?
違いますよね?
カレンダーとかに書き入れますよね?
そうですよね?
え、ちがう? ちょっとよく聞こえませんね
そもそも好きならいろいろ工夫が必要です。
練習の方法とか、時間の使い方とか、工夫できることは山ほどあります。
だから好きってことを、なんというか万能薬みたいにとらえない方がいいと思います。
「好き」ということと「覚えている」ってことは混同しない方がいいように、好きなだけでなんでも解決するとは思わない方がいいのでしょう。
若いころは馬力で仕事を乗り切っていたが、年齢を重ねるうちに仕事のやり方が変わったという話はよく耳にします。
好きなことも同じなのです。
好きなものにも、もう馬力だけでは付いていけなくなったのかもしれません。好きなものへの接し方も移ろっていくのです。
なので、ひとまず美術展で気に入った絵をAnkiに入れてみることにしました
ひと工夫です。
好きだからこそ頑張れるというか、好きであることにいろいろ効果はあるとは思うのですが、「好き」への接し方をたまには考え直してもいいかもしれませんという話でした。
好きなものへの接し方と好きであることの度合いを混同しないようにしたいものです。
もちろんその二つは密接にかかわっているからこそややこしいのですが。
有料の方向けに、その他にAnkiに入れてもよさそうだと思ったものを少しご紹介します。



