ブラックコーヒー1杯ぶんの言葉
正直に書こう。
ここ最近全く自分の好きな文章を書けていなかった。
仕事関係の書類を書けてはいる。でもそれだけだ。
ニュースレターも全く書けていないし、自分がこれまでやっていたようなちょっとした考えとか思い付きを書くというのすらできなくなっていた。
少し燃え尽きていたようなところもあるのかもしれない。
いつも午前中に考えながら、ワクワクしながら考えが思いついていたときの感覚がない。
「こういうもんなのか」
「仕事が忙しくなるとそうなるのか?」
「これがよく聞く中年の危機か⁉」
みたいな言葉が頭をよぎる。
でもなにかちがう。そう思いたい。
そう考えていると、ふと頭をひとつのことがよぎった
「もしかして、コーヒー?」
Googleのサジェスト検索ではない。
実はというほどでもないが、1年前からカフェインレス生活を送っていた。
毎日1杯はコーヒーを飲んでいたのだが、それをやめた。
カフェインが効きやすい性質なのか、カフェインで無理ができてしまう。その無理のせいか、仕事のストレスか分からないが、体調を崩しがちになった。
そして、カフェインレスコーヒーを飲むようになった(たまに白湯も飲む。とても健康的なというか、健康に気を使っている人みたいだ)。
そして、よく考えるとだいたい午前中にワクワクしながら考えていたときはコーヒーを飲んだ後だったと気づく。
「私の考えることへの情熱はカフェインでの押上げがあったからなのか」
うすうす感じてはいた。カフェインの高揚作用が私の知的生産を少なからず支えていたのではないかと。
自分の性格や性質だけでは支えられないのだ。
正直に書けば、カフェインに支えられているということを認めたくなくて、ここまで気づかないふりをしていた節があると、自分のことながら他人事のように考える。
でも待ってほしい。
散歩でアイディアが出ることと、カフェインでアイディアが出ることに差はあるだろうか?
そう、別に差はない(健康的には差がありそうだ)
知的生産とは自分の力で行うものであるといったイメージがどこかにあったのかもしれない。
カフェインが知的生産のキーストーンとまでは言わないが、重要な生態系の一つだった可能性は十分にある。
だから体調を崩さないよう、無理をしないようにカフェインを毎日ではなく、たまに飲むようにしようと思った次第である。
書いてみるとなんともつまらない結論だ。
この文章も久しぶりにブラックコーヒーを一杯飲んだ後に書いている。
少し寂しい。でも、ほっとしている。
とりあえずはそれでいい。

