以前こんなツイートをしました。
思いついたらやってみようということで、まずは『独学大全』技法①「学びの動機付けマップ」です。
この技法は自分の足を進ませる方角、あるいは土台となるものを確認する手法です。さっと手順をご紹介すると以下のようになります。
①学びのきっかけとなった出来事を探す
②その出来事の影響範囲をマッピングする
③影響の評価を行う
④評価に理由付けをする
⑤①~④を必要なだけ繰り返す
詳しくは『独学大全』を読んでもらった方がいいでしょう。この手法を実際にやってみました。
A4の紙に書き出してみます。ちょっと照れ臭いので実際の書いたものは有料会員限定で公開します(記事末尾)。
紙に書きだすまでは手が重かったのですが、書き出してからはさくさく進みました。
この手法をとることで、自分の学びの動機を見直すことができたのはもちろんですが、他にも以下のようなことが分かりました。
自分の学びのスタイルについての理解が進む
自分の中の動機が関連づいていることが分かった
志とは振り落とされない何か
ここでは1と3について触れたいと思います。
自分の学びのスタイルについての理解がすすむ
自分の学びのスタイルはどちらかというと拡散的な独学です。ひとつのテーマについてずっと学び続けるタイプではありません。
一冊の本を読みこむよりは5冊の本を並行して読むようなそんなスタンスです。このスタンスで特に不満はないのですが、どこかに不安は残っていました。
しかし、今回学びの動機付けマップをやってみて、私には二つの相反する動機があることが見えてきました。
「道具を鍛えること」と「楽しさを求めること」です。
簡単に言えば道具を鍛えるとは将来役立ちそうなことについて学ぶこと、そして楽しさを求めるとは本を読んでいてアイディアを思いついたり、理解したりすることを学ぶことです。
この両者は重なるようで重ならないところがあります。
自分が持っている道具を鍛えるのであれば、たとえばもっとプログラミングや英語、統計など学んだほうがよさそうなものはたくさんあります。道具は「役立つ」からこそ道具なのです。
もちろんそちらも学んではいます。
ただ、それと同時に歴史や哲学、日記などについても学びたいですし、楽しさというエンジンはその時々の興味関心によって楽しさの度合いは変化します。
自然と拡散的な学びのスタイルになりやすくなります。道具を鍛えるだけにフォーカスできないのです。
しかし、逆に言えば興味が分散しているからこそ、自分は独学を継続できているのかもしれません。
もし、「統計だけを学ばなければいけない呪い」にかかったら、独学自体を断念してしまうかもしれません。
今のスタイルは効率的ではないかもしれませんが、向かう方向は間違っていないので良しとします。
自分の本棚で出番を待っている「統計学入門」にいつかたどり着ける日が来るはずです。
自分の動機付けには「道具を鍛えること」と「楽しさを求めること」があり、一直線には進めず、ジグザグに進んでいくスタイルは仕方ないのだと自分なりに納得できたのは大きなことでした。
志とは振り落とされない何か
この学びの動機付けマップの中に書き出したことは、自分にとって特に意外なものはありませんでした。
しかし、意外なものではなくとも、わたしには発見はありました。
そこには出来事の再解釈がありました。当たり前だと思っていたものの中に新しいつながりが見えました。
前述したように自分の学びのスタイルについて納得できました。
意外なものはないのになぜ新しい発見があるのか?それは人はどんどん移り変わっていくからです。確固たる鉄壁の自分なんてありません。
これは日記や記録を書き続けた自分自身の実感として言えますが、人にはどうしようもなく振れ幅があります。
「何でもできるんじゃないか」と思った次の日に「もうなにもしたくない」と思うことは普通です。
だからこそ、たとえ自分の動機を自明のものだと思っていても、その動機の位置づけや価値をもう一度見直してみるのは決して無駄にはならないと感じました。
自分自身が揺れ動くのであれば、動機の位置づけや価値も日々移り変わります。
その変化の中でも振り落とされずにとどまるもの、それが自分の動機、志と言えるのではないでしょうか。
『独学大全』の中にはこんな言葉あります。
実を言えば、志の強さは、それを立てた瞬間にではなく、自身の行為や思考を絶えず志に結び直した、その繰り返しの中に生じる。 『独学大全』 p67
揺れ動いても、振りほどいても、自分の中に残る「何か」、それがあなたにとっての志となるでしょう。
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